いちごミロク 幸せドミノ

性同一性障害者が書く癒し

矛盾しててOK!

再掲になります。

今回のお話は、人が許せるようになり
自分も許せるようになるお話しです。
何かが許せないというのは、とても
苦しいものです。楽になりましょう。

 

 

群盲象を評す
(ぐんもうゾウをひょうす)

という、インドの寓話があります。

 

 

数名の、

目の見えない盲目の人たちに

象を触ってもらいました。

 

みんな象を見たことはありません。

そこで触った感触から、

象という生き物がどのようなものか、

感想を述べてもらったのです。

 

 

でも盲目の人たちは、象の体すべてを

触ったわけではありません。

そのため全員の感想は

同じ象についてのものでありながら、

話す内容はバラバラでした。

 

 

鼻に触った人は、象とは

細長い管のような生き物だと言い、

 

牙を触った人は、

硬く鋭い生き物だと言い、

 

耳を触った人は、

平べったい生き物だと言い、

 

足を触った人は、

太くて重い生き物だと言い、

 

尻尾に触った人は

縄のような生き物だと言いました。

 

盲目の人たちは、自分が正しい

他の人が間違っているんだと

主張し合ったのです。

 

 

確かに自分の触った部位の特徴を

的確に表現していて正しいのですが、

それは象の一部についての感想で

象そのものの感想ではないのです。

 

その盲点に気付かずにお互い

他の主張を批判し合うことの虚しさ

を説いたお話です。

 

 

たとえば人生を説いたお話や

スピリチュアルなお話でさえ、

人によって微妙に違っていたりします。

 

ですが、

この世の真理や神様という存在は

わたし達には到底理解が及ばないほど

想像を絶する大きさがありますので

たとえそれぞれの主張が、まったく

違っていてもおかしくはないのです。

 

 

物事というのは、

複雑な形をした立体 です。

それを常に動きながら捉えてますので、

その時に見た角度によって見え方が

違ってきたりします。

 

ですから、

急に主張が変わったり

矛盾する事があってもOKなのです。

 

 

自分の角度から見える価値観

ばかりを主張するのではなく、

他人の角度から見たあらゆる意見も

また正しいのです。

 

お互い尊重し参考にしていくことで

初めて、全体像 ( 本質 ) がだんだんと

見え始めてくるものです。

 

 

他人を許せないというのは

つまり他人の価値観を許せない

ということですね。

 

ですが他人というのは、

もうひとつの自分の目

でもあるのです。

 

みんな手分けして

多方面から真実を見ましょう、

そしてわたしに報告してください。

それが他人の存在意義なのです。

 

 

あなたの意見も確かに正しいのですが

所詮、自分一人の視点だけでは到底

物事の本質は捉えきれません。

 

他人が見て来た価値観もまた正しく

理にかなっているものですから

素直に尊重すればいいのです。

 

それが出来れば、

何かが許せないという苦しみから
抜け出せる となるでしょう。