いちごミロク 幸せドミノ

性同一性障害者が書く癒し

ぼろ雑巾の叫び

今回は私事になります。

一番どん底だった頃のお話です。

体験談なので長文になります。

 

はじめに

このお話では、当時感じた事をありのまま

書いていますが、きつかった職場や

関係者の方達にはとても感謝してます。

すべては今の幸せに繋がるために必要な

経験であり、

重みのある貴重な財産になってます。

 

 

 

20年前、平成10年にけん引免許を取得。

翌年3月に大型免許を取得。

4月に中古車を運ぶ、

キャリアカートレーラーの会社に就職した。

 

車の中で面接をしてくれた社長さん、

最後に念をおすように一言。

 

はっきり言って、

体力より精神力だからね。

 

それでもやる覚悟はあるのか、という

遠回しな問いかけだった。

後で分かった事は、この社長さんは

周りから超人と言われるほど、

タフな人だった。

 

でもわたしに迷いはなく、とにかく

借金苦からお母さんを助けたかった。

 

 

 

某中古車販売会社の専属ドライバー。

浦安を拠点にして北は仙台、

南は名古屋まで高級中古車を

運びまくった。

 

一週間の始まりは月曜の朝に

埼玉の家を出てトレーラーに乗り、

千葉の浦安から始まり、

家に帰れるのは土曜の夜。

その6日間が途切れる事なく繋がってた。

 

お店から積んでオークション会場入れ、

オークションから別のオークション入れ。

オークション会場によって開催曜日が

違っているのと、

関東圏内のお店も走り回り、

積み込みにも時間がかかる。

 

そうするとわざわざ車庫に帰って、

距離のある自宅まで帰るのはムリだった。

 

 

 

常に仕事がおしていた。

もたもたしてると間に合わなくなるという

プレッシャーがあり、普通のお仕事では

考えられないくらい動き続けた。

 

終わったらすぐに次の行き先に出発。

停まって食べてる時間がない事が多く

おにぎりを片手に運転、その日の仕事が

何時に終わるのかが分からなかった。

特に忙しかった時は、

24時間休憩なしで動きつづけた。

 

 

 

寝る時は、運転席の後にある狭いベット。

睡眠時間が2日間で30分の時もあった。

凄い力でまぶたが閉じてくるので

歯をギリギリと食いしばって耐えるか

指で直接、瞼を持ち上げたりもした。

 

お店から積む場合、どうしても路上駐車して

積む以外方法がない。

時にはクラクション鳴らされ、

空き缶ぶつけられたり、ゴミ袋投げられたり

渋滞の中、ダンプのおじさんに拡声器で

怒鳴られた事もあった。

 

泣きながら作業した。

トレーラーは長く、敷地には入れない。

出来る限り裏道に停める工夫もした。

迷惑を避けるために積み込み作業は

基本的に真夜中にやるけど、仕事量が

半端ではなく、昼間もやるしかなかった。

 

 

 

毎日の激しい疲労と、猛烈なストレス。

家に帰れないので心のリセットが出来ず

ずっと心が張り詰めた感じだった。

 

真夜中、仙台に向かう途中のSA。

ストレスから酷く体調が悪く、

トレーラーの前でたくさん吐いた。

 

代わりの運転手はいないので救急車を呼び

SAにトレーラーを停めたまま病院で点滴。

終わったらすぐタクシーでSAに戻り、

早朝までに仙台に到着。

 

 

 

毎週日曜日、月に4日間だけ家に帰れた。

でも死んだように眠るだけで一日が終わる。

 

死に物狂いで稼ぎ、楽しくなかった。

稼いだお金はお母さんとお父さんの

借金返済にあて、残りはトレーラーでの

生活費で使い切っていた。

 

家にはお母さんしかいないんだ。 

もし辞めてしまうと返済できなくなり

取立ての電話が来てしまう。

返していけるのは、わたししかいない。

辛くても辞めるわけにはいかなかった。

 

 

 

一週間お風呂に入れない事もあって

いつも全身が汚れていて、

自分でも分かるくらい雑巾臭かった。

おにぎりとか飲み物、歯磨き粉を買いに

コンビニ行く時が恥ずかしかった。

いつも、うつむいてた。

 

性同一性障害

心は普通の女の子でも、当時はまだ

女性ホルモンの投与も、ヒゲの脱毛も

何もしていなかった。

外見はどう見ても悪臭のする薄汚れた男。

人と目を合わせたくなかった。

 

 

 

少しでも気分を紛らわそうと思い

音楽を聴きながら運転していても、

自然にいっぱいいっぱい涙が溢れてくる。

 

泣きながら、

あたしは幸せになっちゃいけないんだ、と

呟いた時の事は今でも忘れない。

 

 

 

毎日が生き地獄、途中から死を覚悟してた。 

あたしは間違いなくこの仕事で命を落とす。 

いつからか自分を完全に捨てた。

もうどうなってもいいと思った。

 

とにかく毎日身体を傷めつけるように

仕事をしていた。

このまま死んでもいい、

やるだけの事はやったんだから。

 

輸送中に何度かあった。

このカーブ、このまま突っ込んで、

橋からダイブしてみようか・・

今思うと、重度の鬱状態だった。

 

 

 

そして辞める1ヶ月前のある夜、

全ての苦しみが最大になって襲ってきた。

 

極度の睡眠不足。

半端じゃない過労。

深刻な悩み、絶望感。

積み重なってしまったお仕事。

取立ての電話。

猛烈なストレス。

臭くて汚い姿を晒す辛さ。

 

一気に襲ってきた。

わたしの中で何かがブチ切れた。

真夜中、運転席で泣きながら大絶叫した。

 

 

 

殺すなら殺せえぇぇぇー!!!!!

今すぐ殺してみろぉぉぉー!!!!!

このやろおぉぉぉーーー!!!!!

ばっかやろおぉぉぉ!!!!!

 

 

この時は本当に、魂から叫んだ。

 

 


それから、

わたしの身体に不思議な事が起き始めた。

目的地に着いてトレーラーを降りると

胸に痛みが走る。

でも運転席に戻ると治まった。

 

外で作業してる間だけ胸が痛んだ。

だんだん酷くなってきた。

でもやっぱり運転席に戻ると治る。

 

まるで、

仕事をさせまいとしてるようだった。

ついに仕事に支障が出るようになる。

仲間に迷惑をかけてしまうので、

致し方なく会社を辞めた。

5年半のトレーラー生活が終わった。

 

 

 

退職後、急に流れが変わり

とても良心的な弁護士さんに出会い、

残っている借金の債務整理をして頂き

あっけなくゼロになた。

いきなり心の重荷がなくなった。

 

あの魂から絶叫した瞬間、

極限の苦しみを味わい尽くしたのだと

今は思う。

 

よし、もういいよって、

言われた気がする。

 

 

 

真っ黒の闇を知る事で、

白いものの有難みを知った。

どんな事も、どんなに小さくて些細な事でも

感謝出来るようになった。

 

誰かのためを思って飛び込んだ挑戦。

その先にあったのは、

余りに大きな財産だった。

最高の彼氏との出会いにも繋がっていた。

今は、この上なく幸せです。

 

チャレンジして良かった!

 

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葛西にて。

読んでいただき、ありがとうございました。